生原稿を売ることはいけないことだ、
という反論されにくい「常識」をたてに、
もう口がなくて反論できない
故人の仕事と人格を貶め、
今までのヤスケン(安原顯)による
村上春樹批判を
すべてチャラにしようとする試み。
じつに卑怯者。
あとだしジャンケン。
流出の事実関係は、
ヤスケンも(最初の)古本屋も故人になっていて、
真の意味では確認しようがないというのに。
ただ単に故人に「常識」がなくて、
俺が受け取った生原稿は俺のもの、
という認識でいただけかもしれない。
それは「常識がない」と責めればいいことで、
故人が生きているうちに責めることも
できたはずだった。
それをすれば生原稿の流出は
ある程度は防げたはず。
なにしろ村上春樹はこの国で
逆らう大手出版社がないほどの売れっ子なのだから。
それをしなかったのは村上春樹の怠慢だ。
(ほんとうに、そこまで生原稿が大切ならばの話だが)
「犯人」の死後、
このタイミングで「告発」することで、
私たち読者はヤスケンと村上春樹の、
意外なほど濃密な愛憎の歴史を知らされたけれど、
それは村上春樹側の歴史であって、
ヤスケンの側には別のものが見えていただろう。
ヤスケンの長所と短所を同時に語ることで
あたかも「フェア」であるかのような
印象を与えているけれども、
どこまでも片方の見方でしかなく、
繰り返すが故人には口がない。
文中、
「男らしさ」
という概念をつかって、
表裏をつかいわけ陰口を言う編集者たちを批判し、
ヤスケンを持ち上げるくだりがあるのだけれど、
生原稿を勝手に売り払う行為は、
「男らしさ」と地続きのものだと私は思う。
逆に、
故人が生きているうちは
お上品に沈黙を貫き、
今ごろになって、
絶対に勝てるような方法で
秘められた「歴史」を語る村上春樹の態度は、
「男らしさ」から最も遠いものだろう。
それは普通の陰口より、もっともっと「陰口」だ!
途中で切られているけど、ブログの後半で 「そもそも生原稿流出はそこまで責められるべきことか。」 「生原稿を勝手に売り払う行為は、「男らしさ」と地続きのものだと私は思う。」 この人はないわ。 ってかこの人のブログたどってみたけど村上春樹のストーカーじゃん ”
